原作アニメ比較 2
肉付きの面
アニメ第11回放送2001年1月1日
「現代によみがえる呪いの能面」

原作少年サンデー1997年5月7日(23号)第23話「肉づきの面」
原作少年サンデー1997年5月14日(24号)第24話「壊れた体」
原作少年サンデー1997年5月21日(25号)第25話「人を喰う面」
原作少年サンデー1997年5月28日(26号)第26話「助けてやるが・・・」
原作少年サンデー1997年6月4日(27号)第27話「片割れ」

           ☆          ☆          ☆

3週 間の休みをおいて放映された「肉づきの面」、私は犬夜叉アニメの大きなターニ ングポイントとなった作品だと思っている。
今までは、ちょこちょこ抜いたり、 オリジナルシーンを加える程度の変更だったものがいきなり設定、ストーリーと共に大幅に変えられた。
それがどう出たかはともかくとして、まずは「肉づきの面」。

恥ずかしながら、私は高橋先生の想像の産物だとばかり思っていたのだが、伝説、実物のお面と共に、実際にあるのだそうだ。
しかも、歌舞伎、文楽などでも取り上げられる有名な話らしい。

出所は現在の福井県。
簡単に伝説を説明すると、ある所に信心深い夫婦がいた。
無信心な 姑は、これが気に入らず、ある日、嫁だけが法話を聞きに出かけたのをいいことに、神社に奉納してあった鬼女の面を付け、嫁を帰り道の断崖の上で待っていた。
そして嫁に不信心を迫ったが、聞き入れなかったので、崖から突き落と して>しまった。
だが、嫁は仏の加護のせいか怪我一つなく帰ってしまう。

姑は苛立ちながら鬼の面を取ろうとするが、面は顔の皮膚に張り付いて取れなくなり、手足までも動かなくなった。
自らの罪を悔い、信心を誓って初めて姑は面から解放されたという話である。
吉崎寺と願慶寺に同じような由来の面があるとのこと。 

今回のエピソード、原作では持ち主が日暮神社にお祓いのために持ってきた面がかごめの部 屋にあった四魂のかけらに反応して蘇る。
アニメでは、もともと神社の倉庫にしまっておいた面が、やはりかけらに反応して蘇る設定になっている。
おかげでかごめの祖父が大立ち回りを演じる羽目に。
この祖父は、いかにも怪しげで、犬夜叉封じのお札も全然効いていなかったほどなのに、面に対しては弥勒ばりの技を披露、対処法も完璧過ぎた。

グロテスクなシーンが多いエピソードなので、アニメスタッフも苦心されたことと思うが消防士を巻き込んだ面が、消防車を運転するわ梯子を作動させるわでいかにもやり過ぎ。
戦国時代の妖怪がなぜにそこまでできるのか。

犬夜叉と草太(かごめの弟)はかごめを追いかけて、走るトラックにまで飛び乗っている。
一体かごめはどこまで逃げたんだ?と突っ込みを入れたくなったのは私だけではあるまい。
途中で車にでも乗らなくてはとてもそんな遠くまでは逃げ切れないはず。

また、原作では実際に面と相対した人間は少ない。
だから、うやむやのうちに終わってしまってもおさまりがつくが、アニメでは面自体が大勢の人を巻き込み、目撃されている。
肉づきの面を倒しておしまい、というわけにはいかないだろう。
毎 回現代で妖怪事件が起きる漫画ではない。
オリジナルにしてももう少しリアリティーを大切にして欲しいと思った。

反対に、原作以上の魅力で登場してきたのが、かごめの現代のボーイフレンド?北条君。
さわやかで、のほほんとした雰囲気が、声や和田薫氏の曲によっていっそう引き立っていた。
北条君が原作やアニメで犬夜叉に会う場面はないが、実はワンダースワンの中では感激の対面を果たしている。これが笑えた。

オリジナルを入れることや、原作を変えることに反対しているわけではないが無理のない設定、キャラの使い方をして欲しいと思う。
私が最初にこの回を「ターニングポイント」と書いた理由はここにある。
特にこのスピードでアニメが進んでいけば、いずれ原作に追いついた時にどうなるか、という危惧はこの頃からあった。
その意味で始めての大幅変更、(ほとんど)オリジナルストーリーのこの回は大切だった。
感想をまとめるならば、その大仰さにあっけにとられたというのが正直なところである。
(2002年11月21日の日記)
タタリモッケ
アニメ第12回放送2001年1月22日
「タタリモッケと小さな悪霊」

原作少年サンデー1997年7月30日(35号)第35話「小さな悪霊」
原作少年サンデー1997年8月6日(36,37合併号)第36話「目が開くまで・・・」
原作少年サンデー1997年8月20日(38号)第37話「地獄へ」
原作少年サンデー1997年8月27日(39号)第38話「魂鎮め」    
                      
タタリモッケ。
魂鎮めの笛を吹きながら死んだ子供が成仏するまで一緒に遊び、見守る妖怪。
ただし成仏できず悪霊になりそうな時は、地獄に連れて行くという。
卵の黄身か満月か、といった体も可愛いが、子供の成仏判断をする目の 開き具合がとにかく可愛い。
本来可愛いなどと言っていられることではないのだが。

きのうの「肉づきの面」を読み返してみて、まるで自分が「文句つけ魔」にでもなったような気がして少々滅入っていたが、ありがたいことに、タタリモッケは大好きなエピソード。

アニメに関しても、小さな突っ込みどころはあるけれど、原作同様素直に泣けた。
何といっても印象的なタタリモッケの笛の音。
「犬夜叉」の音楽を手がけておられる和田薫氏に関してはいつか書きたいと思っているが、短い旋律ながらとにかく美しい。

いつもはきつい口調が気になるかごめも、家族の会話以外は、原作を髣髴とさせる優しさと強さが感じられた。
成仏できずにさまよう少女「真由」の母親が金魚模様の浴衣を 縫うシーンにも原作にはない思い出のシーンが挿入されていて、深みを出していたように思う。

些細なことだが気になったのは、原作では真由の影がないのに、アニメではしっかり影があること。
常識的に考えれば、幽霊に影はないだろうと思うのだが、どんな意図があって影を描いたのだろう。
他にも季節感、大げさな演出場面など気になることはあるが、今日は書くまい。
変わりに発見したことを少し。

1つめは、かごめはどうやら中央線沿線に住んでいるらしいということである。
アニメに限り、だが。
もし日暮神社にモデルがあるのなら、そんなところから調べていくのだが、どうなのだろう。

2つめはかごめの友達、アニメでは「あゆみ」になっている、が消えたことである。
今のサンデーではまた戻ってきているが、出たり入ったり不思議な存在である。

3つめは「犬夜叉」に限らず、両親が揃っていないキャラが多いような気がする。
らんま、あかね、かごめなど、抜き出してみればたいした数ではないが、主役級キャラだけに印象に残ったのか。
高橋先生に、何か意図があるのかどうか、ファンの間で語り尽くされているテーマのような気がするが、残念ながら私にはわからない。

特にかごめに関しては、父親がどうしていないのか、何の説明もない。
単身赴任や離婚といった感じではないので、父親はもう亡くなっているのではないかと勝手に思っているのだが。
(2002年11月22日の日記)
朔の日 〜蜘蛛頭
アニメ第13回放送2001年1月29日
「新月の謎 黒髪の犬夜叉」

原作少年サンデー1997年9月3日(40号)第39話「蜘蛛頭」
原作少年サンデー1997年9月10日(41号)第40話「新月」
原作少年サンデー1997年9月17日(42号)第41話「蜘蛛の巣」
原作少年サンデー1997年9月24日(43号)第42話「結界の中」 
原作少年サンデー1997年10月1日(44号)第43話「犬夜叉復活!」
原作少年サンデー1997年10月8日(45号)第44話「かけらのありか」

           ☆           ☆          ☆

今回始めて明らかになる犬夜叉の秘密。
実は「犬夜叉日記」を書くにあたって一番苦労したのが、この「朔の日」。
半妖の犬夜叉が妖力を失い、人間に戻る新月の夜である。
これはまさか創作ではあるまいと、いろいろ調べてみたが出てこない。
「たしかミカンのハッサクもこの字じゃなかったっけ?」と思いついて、「八朔」で検索してみたら大当たり。
何のことはない、「朔の日」とは旧暦の毎月1日のこと、8月1日が八朔と出てきた。
伊勢地方のおもしろい話を見つけたので、ちょっと紹介してみよう。
伊勢では毎月1日に神宮に参拝する習慣があったそうだ。

いつもより早く起きて無事に過ぎた1ヶ月を感謝し、新しい月の無事を神様にお願いするその名も「朔日参り」。
今の暦ならば30日の月、31日の月とあって、新月=1日とはならないだろうが、旧暦ではどうなっているのか、今はちょっとわからない。

月の光に影響を受けると言えば狼男が有名だが犬夜叉も同類、満月の日には最大限にパワーアップするのだろうか?
そんなことは書いていないが。

犬夜叉が人間化した朔の日、犬夜叉たちは妖怪「蜘蛛頭」に追われていた「なずな」という人間の少女を助ける。

なずな役は折笠富美子さん、後に「復活した者たちの野望」の「炎珠」で2度目の登場、蜘蛛頭は麦人さん、サイボーグ009のギルモア博士。そう思って聞けばたしかに同じ声だ。

今回は弱体化した犬夜叉の心の弱さ、かごめとの心のつながりを始めて垣間見せる大事なエピソードだったのに、なんと6話分をひとまとめにしてし まった。
しかも「肉づきの面」でカットされていた北条君のデートのお誘いシーンまで挿入されている。

そのため一番損をしたのは、なずなだろう。
親を蜘蛛頭に殺され、全ての妖怪を恐れ、憎んでいるなずなは、自分を助けてくれた優しい和尚を心から慕っている。

その和尚こそが蜘蛛頭の親玉、親を殺した張本人とわかってもなお、蜘蛛頭の甘言に乗せられ、犬夜叉達をさらなる危険に誘い込んでしまう。

そのつぐないに、なずなは命をかけて犬夜叉の鉄砕牙の的になろうとするのである。
残念ながら、アニメでは、なずなは蜘蛛頭に騙されただけ、戦闘においても傍観者になってしまった。

これではなずなの魅力も半減してしまう。
普通かごめのように恐れを知らない人間なんてむしろいないだろう。
怯えながら、憎みながら、それを克服して妖 怪に立ち向かうなずなの姿に私はむしろ共感を覚える。

戦闘シーンを大幅に短縮、なずなのシーンを大幅カットすることにより、犬夜叉が心の弱さをか ごめに垣間見せるシーンだけはかろうじて保たれた。
だがそこまでして1話にしぼる意味を、私は知りたい。

七宝の活躍シーンも大幅カットでとても残念。
原作では人の顔をした蜘蛛が「わさわさ」いて、半端でない怖さがあったが、アニメでは蜘蛛の顔をした人が「ちょこちょこ」動く、「ルパン三世カリオストロの城」風のお茶目さに変わっていた。

個人的にはとても残念だが、放映時間を考えれば無理もないことか。
(2002年11月23日の日記)
桔梗復活 〜鬼女裏陶
アニメ第14回放送2001年2月5日
「盗まれた桔梗の霊骨」

原作少年サンデー1997年10月15日(45号)第45話「骨と土」
原作少年サンデー1997年10月22日(46号)第46話「抜け殻」

           ☆          ☆          ☆

いよいよ最大の山場、桔梗復活。
とは言ってもこの回の主役は鬼女裏陶。
いきなり原作にない裏陶vs楓の貫禄バトルで幕を開ける。
裏陶役の太田淑子さんは、「リボンの騎士」や「じゃりん子チエ」などで有名な方。

桔梗を蘇らせる妖力の持ち主に恥じない暴れっぷりで、裏陶の勝ち。
ついでにアニメvs原作バトルでもアニメの勝ち。
もうひとつ、桔梗の霊骨を取り返しに行く道すがら、楓が語る墓の意味。
「墓を必要とするのは、残された人間の心。」これもアニメオリジナルだが、この言葉の持つ意味は深い。

桔梗復活のエピソードは今までになく力が入っていて、原作2話分に絞り込まれ、さらに上記のようなオリジナル挿入シーンも多い。
見事な演出である。

この時かごめはまだ犬夜叉への気持ちを意識しておらず、片想いの末桔梗により封印された犬夜叉に同情する余裕さえうかがえる。
楓と共に桔梗の霊骨を取り返しに行く場面では、自転車にしっかりリュックを乗せており、なんだこれは?と思ったらこれも原作にはない野宿が入っていた。

時間稼ぎもこれなら無理がなく、寝袋に包まって眠る楓も一見の価値あり。
しかも翌日はリュックをその場に残し、身軽になって出発するなど芸が細かい。

一方裏陶。
せっかく桔梗の霊骨と墓土で蘇らせた桔梗の体も魂が入っておらず、ただの抜け殻。
そこに犬夜叉一行が到着、裏陶は桔梗の魂がかごめに転生していることを見抜いてかごめをさらうのである。

結局桔梗が蘇るのは次回のお楽しみになったが、原作以上に魅力的な裏陶を堪能しただけで十分満足できた。

鬼女伝説は、足達ヶ原、渡辺綱などたくさんあるが、霊骨を用いて生きた人形を焼く鬼女の話は見つけることができなかった。
奪衣婆と西洋の鎌を振り上げる死神の融合して作られた妖怪なのだろうか。
(2002年11月24日の日記)
桔梗無残
アニメ第15回放送2001年2月12日
「悲運の巫女 桔梗復活」

原作少年サンデー1997年10月29日(48号)第47話「拒絶」
原作少年サンデー1997年11月5日(49号)第48話「裏切り」
原作少年サンデー1997年11月12日(50号)第49話「怨念」
原作少年サンデー1997年11月19日(51号)第50話「引き裂かれた魂」

          ☆           ☆          ☆

桔梗復活エピソードの2週 目。
かごめの魂が桔梗の中に還り、意思を持った死人桔梗が蘇る。

ここでかごめが桔梗の生まれ変わりであることが明示される。
同時に犬夜叉と桔梗の過去も始めて明らかになる。

孤独な心を持つ者同士、心を通わせた犬夜叉と桔梗。
完全な妖怪になるために四魂の玉を求めていた犬夜叉が桔梗と共に生きるために、人間になることを選ぶ。
その微妙な心の動きが、アニメオリジナルでは具体的に表現されていた。

だが四魂の玉を犬夜叉に渡すはずだったその日、犬夜叉に化けて桔梗を襲った何者か(奈落)により、桔梗は傷つき倒れる。
桔梗は犬夜叉が裏切ったと誤解したまま、犬夜叉を封印し、自分も死んでいく。
だが、桔梗は犬夜叉を殺してはいない。
自分を裏切った(と信じた)犬夜叉への最後の優しさが残っている。

それが蘇るなり、犬 夜叉の話も聞かず、犬夜叉を殺そうとする。
恨みに凝り固まった桔梗は無残である。
だが、考えてみるとここに疑問を感じる。
犬夜叉の生き返った姿を 見たからか、あるいは裏陶の卑しい心が桔梗の体に練りこまれてしまったのか、死ぬ間際の桔梗とはあまりにも違いすぎる。
この部分は、原作でも説明がなされていず、物足りなさが残る。

アニメ版では作り物の体で涙まで、血まで流す。
まあこれは聖痕のようなものと考えれば、つじつまが合うが、無理もある。

桔梗の激情が骨と墓土でできた体に、血や涙を生み出したの か。

どっちにしても、大げさすぎる演出には気がそがれてしまう。
とにかく最後の最後にかごめが覚醒し、魂を取り返すが、体に残っていた陰の気により、桔梗は逃げ延びる。
ここでかごめがただの生まれ変わりでないことが暗示される。
「桔梗+α」の何かがあるはずのかごめだが、それが何なのかは、未だに明らかにされていない。

そして最後のシーン、「かごめ=桔梗」を意識してぎこちない犬夜叉を、わざと怒らせ、「怒ってた方が犬夜叉らしーよ。」と微笑むかごめのシーンが削除されてしまった。
これは犬夜叉が初めてかごめを意識する大事な場面、時間がないからといって気軽に削除できるものではないはず。

子供向けを意識してあまり複雑な感情描写は止めようという意図があったのか、単なる時間切れかわからないが、この後のアニメの流れを見ていくと、どうやら前者のような気がする。
(2002年11月26日の日記)
不良法師弥勒登場
アニメ第16回放送2001年2月19日
「右手に風穴 不良法師 弥勒」

原作少年サンデー1997年11月26日(52号)第51話「不良法師」
原作少年サンデー1997年12月3日(1号)第52話「玉泥棒」
原作少年サンデー1997年12月10日(2,3合併号)第53話「風穴」
原作少年サンデー1997年12月24日(4号)第54話「呪われた手」

           ☆          ☆          ☆

犬夜叉4番目の仲間、弥勒がついに登場した。
演じるのは 辻谷耕史さん、弥勒が弥勒役を演じていると言ってもいいほどのはまり役だと私は思う。
この頃は「らんま1/2」もまだ見ていなかったので、辻谷さんの声を聞くのは初めて。
丁寧な話し方をしていてもどこかとぼけた感じ、不良っぽい雰囲気、それでいてただ者ではないしたたかさを感じてしまう。

犬夜叉たちとの出会いから、戦闘に至るまで原作に忠実に素直に作られているので風穴披露までの期待に嫌でも胸が高鳴る、弥勒のテーマに胸がときめく、とにかくおいしい30分。

この回で 大事なことは、弥勒の初めてのおさわり、ではなく、「奈落」の名前が初めて出てくること。
まさに犬夜叉が封印され、桔梗が四魂の玉と共に死んでいった50年前、野盗鬼蜘蛛が体を妖怪に喰らわせて、邪妖「奈落」が誕生した。
弥勒の祖父、父、そして弥勒自身が風穴の呪いを受け継ぎながら、奈落と戦い続けてきた。
奈落を倒さなければ、風穴は数年のうちに弥勒を飲み込み、一族を滅ぼしてしまうという。
犬夜叉と弥勒の敵は一致した。
かごめの勧めにより弥勒は犬夜叉一行に加わることにするが、まだ互いに心を開いてはいない。

もうひとつ大事なことは、弥勒は化けイタチの額の四魂のかけ らを見切っているということである。
生半可な修行を積んできたわけで はないことがうかがえるが、後にこの力は消えてしまうのがおもしろい。
女性版奈落の声は家中宏さん、後で再登場するが女性版奈落なら、声も女性にするのが妥当だろう。
弥勒の相棒八衛門(アニメ名)は中嶋聡彦さん、愛嬌たっぷりの狸妖怪である。
アニメオリジナルであってもすっかり定着した八衛門や鋼牙の仲間、かごめのクラスメートの名前などは原作の感想の中でも使っていきたい。
(2002年11月28日の日記)
地獄絵師 紅達
アニメ第17回放送2001年2月26日
「地獄絵師の汚れた墨」

原作少年サンデー1998年1月5日(5,6合併号)第55話「懐中の鬼」
原作少年サンデー1998年1月14日(7号)第56話「鬼を操る」
原作少年サンデー1998年1月21日(8号)第57話「絵師の夢」
原作少年サンデー1998年1月28日(9号)第58話「汚れた墨」

       ☆          ☆           ☆        

地獄絵とはその名の通り、罪を犯した人間が死後落とされる地獄を描いた絵。
私も見たことがあるが、まさに因果応報、悪いことをすれば地獄に落ちる、だから生きているうちに良いことをして極楽へ行けるようにしなさいと、教えるために描かれた絵かと思っていた。
実際はそんな単純なものではないらしいが、地獄絵を専門とする絵師が実在したのは確かなようである。

さて、地獄絵師紅達が今回の主役である。
演じるのは島田敏さん。
紅達の卑屈でそのくせ執着心の強い性格がきちんと表現されていた。
原作の紅達は邪まなりに、姫への想いは純粋だったが、アニメの紅達は金も名声もあわよくば姫も、という野心家に変更されていてちょっと興醒め。
社会事情を考えてまだしも計算高い人間に設定した方が無難と考えたのかもしれないが、紅達の卑屈なりの魅力が消えてしまった。

これは仕方がないとしてアニメでは、姫の父(領主)までが四魂のかけらを狙う悪人になっている。
だから弥勒を素直に迎え入れたりしないし、当然七宝が姫に化けて、囮になるシーンもカットされてしまった。

高橋先生の漫画によく出てくる「目が点々のお人よし顔」の領主と弥勒のやり取りが大好きだったし、きれいな姫になっても饅頭をぱくついている七宝の姿にも爆笑したからとても残念。

ただアニメに救いがあるとすれば、四魂のかけらに取り付かれていた紅達もまた苦しんでいたことだろうか。
最後は因果応報、紅達は己の墨に喰われて(アニメでは血を吸われて)死ぬ。

犬夜叉と弥勒の「慈悲問答」のカットもこれまた残念。
ところで弥勒が最初に出会う墨絵の妖怪(実は鬼)を「ごず」「めず」と呼んでいる。
これは「牛頭(ごず)」「馬頭(めず)」のことで、地獄で亡者を裁く閻魔大王のそばに鉄杖を持って控えている鬼を言う。
その名の通り牛頭は牛頭人身、馬頭は馬頭人身で、人が死ぬと火の車に乗って迎えに来るとされる。
弥勒が「絵でしか見たことがない。」と言っているのは当然で、いつもこんな連中を相手にしているのだから、人助けも大変である。
画面には一瞬しか出てこないがそう言えば牛、馬らしい顔をしている。

牛頭馬頭について調べていたら大当たり、「獄卒」の文字を見つけた。
これも地獄にいる鬼のことで、プレステに「獄卒鬼」として登場。
地獄界において文官職をにない、膨大な閻魔帳の作成も行うインテリである。
ゲームでも終盤戦(宝王院)に出てくるけっこう強い敵キャラ。
なにしろ、今週のサンデー同様男組、女組に分けられてしまうので、犬夜叉、弥勒、七宝の3人で戦わなくてはならないのだ。

しかも、この獄卒、実際には奈落と同じ蠱毒の術まで使う。
蠱毒とは呪い目的で人為的に作られた生き物のことをいい、一つの器の中で昆虫や爬虫類、犬猫などの小動物を入れ、長い時間をかけ殺し合いをさせて、最後に生き残ったものだけが蠱毒となる。

まあ奈落は断崖絶壁の谷底に、妖怪を入れて作っていたからだいぶスケールが違うが。
こんなことばかりやっていると、「歩く妖怪事典」になる日も近そうだが、データベースによると、日本に存在する妖怪の数は13,360件にも上ると言われているからまだまだ大丈夫だ。

今改めてアニメを見ると、巫法札合戦になったカードのシーンを見つけるのが楽しい。
「炎の犬夜叉」(呪法)だの、「血と肝の墨」(備)だの見つけるたびに歓声を上げてしまう。
カードの紅達は、毒の技が厄介な相手、性格と同じくじわじわ攻めてくるので私は嫌い。
味方につければ心強い御供ではあるがあまり使いたくない。

最後に一言、今回の犬夜叉、キャラの顔が変わっていた。
紅達はともかく、せっかくの弥勒の大立ち回りも魅力半減。
犬夜叉、かごめもなんだか変だった。
あれは犬夜叉ではないし、かごめでもない。別人である、とても寂しかった。
(2002年12月1日の日記)
地獄の傀儡師? 奈落登場
アニメ第18回放送2001年3月5日
「手を組んだ 奈落と殺生丸」

原作少年サンデー1998年2月4日(10号)第59話「仮の腕」
原作少年サンデー1998年2月10日(11号)第60話「鉄砕牙の威力」
原作少年サンデー1998年2月18日(12号)第61話「最猛勝」

          ☆          ☆          ☆

今回の見どころはなんと言っても奈落vs殺生丸のナルシスト対決。
家中宏さんが、女性版奈落に続いて本格的に登場する。
ここでの奈落は狒狒の皮をかぶって出てくるが、犬夜叉をけなし、殺生丸をおだてて殺生丸をまんまと自分の思い通りに動かしている。
「金田一少年の事件簿」に出てきた「地獄の傀儡師」そのものである。

自分は直接手を下さず、他人を操って人殺しをさせ、結局殺した方も破滅に追いやる悪魔のような男、まさに奈落だ。
もちろんあっちは普通の人間だが、やっていることはほとんど同じ。

この点殺生丸は実に人が良い。
しかも本人は犬夜叉から鉄砕牙を奪うつもりでありながら、はたから見ると「殺生丸の鉄砕牙使いこなし教室。」に見える。
もちろん教える方も習う方も命がけだが。

以前にも書いたが、ここで殺生丸は鉄砕牙を変化させて使いこなしている。
人間の腕をつけるだけでは、鉄砕牙に触れることはできても、使いこなすことはできないはずである。
「四魂のかけら」の力かと一瞬思ったが、殺生丸はもともと「かけら」に頼ってはいない。
触れることさえできれば使いこなせるという確固たる自信があるように見える。
もちろんこの時点で殺生丸に、「人間を慈しみ、守る心」などない。

単純に冥加が間違えたと考えることも可能だが、ここで亡き父の立場に立って考えてみようと思う。
父は、殺生丸に「癒しの刀」天生牙を、犬夜叉に鉄砕牙を与えている。
しかし殺生丸の性格を考えると、犬夜叉の鉄砕牙を欲しがることも当然予測できたはず。

一方犬夜叉も半妖というハンディを差し引いても、殺生丸はおろか、人間弥勒にまで太刀筋を見切られるほどの単純性格だから、とてものこと自力で鉄砕牙を使いこなせるようになるとは思えない。

と言うより父が亡くなる頃、犬夜叉は、まだ子供だったから、鉄砕牙の使い方を教える術などない。

父はやはり殺生丸に、犬夜叉の師になって欲しかったのではないか、西国一の大妖怪である、どちらかが己の弱さのために命を失うことがあっても、それは運命、しょせんそれだけの器でしかないのだと見極めていたのではないかと思う。

ただし、この説の弱点は、やはり「人の腕」。
父が殺生丸が腕を失うことなど予想していたはずはない。
もしかしたら人の腕などつけなくても、殺生丸が鉄砕牙に触れる方法があったのかもしれない。

うがちすぎかもしれないが、高橋先生の設定ミスでなければ、そうとしか考えられない。

ところで殺生丸、なぜこれほどまでに人間を憎み、蔑むのか、人喰い妖怪の一族ではないので、犬夜叉のことがなければ、人間なぞ歯牙にもかけなかったことだろう。
憎んだり蔑んだりするということは、それだけ人間に対して強烈な感情があるということである。

当然、父をめぐる2人の母親の関係が問題となる。
母親同士の関係においては、原作でも触れていないが、殺生丸の母(妖怪)が亡くなった後、父(妖怪)が、犬夜叉の母(人間)を見初めたと考えるのが自然だろう。

まあ、他にも考えらないことはないが、ここではあえて触れない。
いずれにしても殺生丸にしてみれば、母を差し置いて人間ごときが、となる。
まるで駄々をこねる子供である。

外見はクールな殺生丸だが、奈落に乗せられたり、継母?との複雑な関係にすねたり、となかなか愛らしい側面を見せる。

殺生丸は、無女を犬夜叉の母に仕立てるくらいだから、犬夜叉の母に会ったことがあるか、あるいは見知っていたことだろう。
犬夜叉の母親、回想シーンにしか出てこないが、たおやかな女性である。

おそらく猛烈に反対されたであろうに、妖怪を愛し、その子を産むくらいだから、芯の強さはあったかもしれないが、少なくとも回想の中では、虐げられる犬夜叉を守ることもできず、涙を流すばかりである。

これがかごめだったらどうだろう。
最初にお断りしておくが、原作のかごめである。
原作とアニメのかごめの相違に関しては、いずれ書きたいと思っているが、長くなるのでここではやめる。

かごめなら、虐げられる犬夜叉を守ろうとするだろう、闘うだろう。
かごめには「魂の強さ」がある。
殺生丸でさえ、後にかごめの存在を認めている。
母親がそんな女性だったら、殺生丸の人間に対する気持ちもだいぶ変わっていただろうと思う。

ところでここでもうひとつ、重要な脇役?が登場する。
最猛勝、いわゆる毒蜂。
弥勒の風穴に自ら飛び込み、弥勒を毒状態にするが、針はあっても刺されるだけなら毒はきかないらしい。
しかも弥勒を死にそうな目にあわせるくせに、現代の薬であっさり中和されてしまう。

奈落が究極の悪役を目指すなら、解毒剤の効かない、ちゃんとした毒針のある蜂を育てなくてはなるまいが、そんな兆しはない。

まあ悪の美学(まわりくどい方法を愛するの意)を追求する奈落のこと、風穴を牽制することだけが目的なのかもしれない。

蜂に刺されて弥勒達があっさり死んでしまったらつまらないわけだ。
虫刺され用の飲み薬があるなんて知らなかったが、それを持って歩くかごめもすごい。

弥勒の風穴は、奈楽の呪いによって穿たれたものだが、私はてっきり穴の中は異次元空間のようになっていて、どこともしれずに飛ばされてしまうのだと思っていた。

しかし毒にやられるということは、弥勒の体の中に入るということである。
弥勒の体は、吸い込んだもろもろのもの(妖怪、木や岩など)を瞬時に消化してしまうのらしい。

もうひとつの疑問。
奈落が弥勒の風穴を作ったわけだが、もし、弥勒が奈落を吸い込むことに成功したらどうだろう。
瞬時に呪いを解いて風穴自体を消滅させなければ、奈落が助からないような場合。
奈落の体は瘴気の塊だが、弥勒のほうも相打ち覚悟でそれくらいのことはするだろう。

自分の作った風穴に吸い込まれて終わってしまったら、これほど惨めなことはない。
よくもそんな諸刃の剣みたいな危険なものを作ったものだと思うが、もしかしたら風穴は奈落が意図して作ったものではないかもしれない。

弥勒の祖父との戦いで、「封印の札ごと祖父の右手を突き抜け、逃れ去った。」と弥勒は語っている。

奈落は逃げるのに必死だっただけ、風穴はたまたまできてしまったとも考えられる。
風穴が代々受け継がれていくのはもちろん奈落の呪いの力だろうが、けっこう奈落にもドキッとした瞬間があるのではないだろうか。
一度奈落に聞いてみたいものである。
(2002年12月4日の日記)
殺生丸撤退
アニメ第19回放送2001年3月12日
「帰れ、かごめ!お前の時代に」

原作少年サンデー1998年2月25日(13号)第62話「腕を奪う」
原作少年サンデー1998年3月4日(14号)第63話「奪還」
原作少年サンデー1998年3月11日(15号)第64話「別れ」
    
       ☆          ☆          ☆   

前回殺生丸と犬夜叉の戦いの中で、かごめが放った「破魔の矢」が鉄砕牙の変化を解いた。
この後の展開はおおむね原作どおりだが、犬夜叉の「ありがとよ。」の一言は効果的だったように思う。

それから原作では殺生丸が投げつけた犬夜叉の体がかごめに激突するのだが、あれではかごめがたんこぶひとつではすまないだろう。 

そこが犬夜叉自ら飛び出していって、かごめをかばいながら叩きつけられるように変更されているので、納得できる展開となっている。
まあ殺生丸の「やめさせろ。」とその後に続く言葉は余計だったが。

それにしても邪見が絡むと、深刻な場面でもどうしてこう笑えるのだろう。
あそこで弥勒に「ぼこぼこ」にされなくても、十分におかしい。

犬夜叉はかごめを守るために、殺生丸にしがみつき「走れーっ!」と絶叫する。
この後のシーンは、最高の迫力だった。
弥勒組なんかどうでもいいから、こっちだけ見せてくれーっ!とこっちが絶叫したくなる見事な展開でアニメの醍醐味はこれなんだよね、と一人納得。

八衛門狸の変身シーンや、犬夜叉とかごめの薬草談議などもさりげなく挿入。
空飛ぶ八衛門の背中も気持ち良さそうだった。

しかし犬夜叉はこれ以上かごめを危険な目に合わせたくないと、四魂のかけらを奪い、骨喰いの井戸に突き落とす。
ここでかごめは四魂のかけらがないと、井戸を行き来できないことが明示される。
犬夜叉がかごめを抱きしめるシーン、のぞいている弥勒と七宝なども原作どおり。

一方かけらを取り返した最猛勝を追った殺生丸は、奈落の体を引き裂くが、奈落は逃げた後だった。
(2002年12月5日の日記)
戦国時代、そして現代 〜狼野干
アニメ第20回放送2001年3月19日
「あさましき野盗 鬼蜘蛛の謎」

原作少年サンデー1998年3月18日(16号)第65話「鬼蜘蛛」
原作少年サンデー1998年3月25日(17号)第66話「邪気の跡」
原作少年サンデー1998年4月1日(18号)第67話「ふたつの時」
原作少年サンデー1998年4月8日(19号)第68話「破られた結界」 
   
       ☆          ☆          ☆

現代から戻って来れないかごめと、傷の癒えない戦国時代の犬夜叉の話が平行して語られていく。
犬夜叉がかごめに決別するために井戸を塞ぐのを見た七宝が、「犬夜叉はかごめに会えなくなってもいいのか?」と怒るが、犬夜叉は取り合わない。

「人さまと深く関わり合うのが苦手な性分」と言っていた弥勒も、七宝を気にするそぶりは見せるが、かといって犬夜叉の真意を説明するでもなく、すぐに奈落の話題に入っていく。
七宝にはかわいそうだが、当初の弥勒が他人との関わりを避ける傾向にあったことを示す好エピソードだと思う。

犬夜叉の気持ちをちょっと話してやれば、七宝は納得するだろう。
現に後で犬夜叉と弥勒の会話から、犬夜叉の真意を悟り、理解している。
しかしこのときの弥勒は七宝の気持ちより奈落の問題で頭がいっぱいのようである。
現在の弥勒からは考えられないことだ。

現代ではやはり犬夜叉の真意を汲み取れないかごめが、悩んでみたり、北条君とのデートの誘いを受けてみたりと、揺れる心が表現されていく。
この辺は原作に忠実なので、素直に見ていることができた。

一方楓と合流した犬夜叉達は、かつて桔梗に邪まな想いを抱いていた野盗鬼蜘蛛の存在を知る。
鬼蜘蛛こそが奈楽の正体、桔梗と犬夜叉の仲を引き裂いた張本人であることがわかっていくのだが、鬼蜘蛛については次回にして、今回は奈落の放った刺客、狼野干について書いてみたい。

原作では、「地獄の狼、狼野干」と名のるだけなのに、アニメでは「地獄の番人」はいいとして、楓が「森を守る」などと余計なことを言うからややこしくなる。

狼野干、素直に訳すと「狼狐」となる、なんと「おおかみキツネ」である。
「野干」という言葉はインドから中国、中国から日本へと、仏教の教えと共に入ってきた。

インドでは野干は、ジャッカル、ドール、タイリクオオカミのいずれかとされているが、ジャッカル説が有力らしい。
それが中国では野干は「キツネに似た獣」になり、「木に登り、群れをなし、夜啼く」とされる。

そして「野干に跨る茶枳尼天(だきにてん=豊川系の稲荷神社に祀られている女神。女稲荷ともいう。)」が、日本における「キツネに乗った茶枳尼天」になってしまうのである。

ただ、日本でも、キツネ(中国)とジャッカル(インド)の野干を見比べて、ジャッカルの方が正しいらしいということで、同じイヌ属のオオカミとする見方もあったらしい。

地獄草紙なる作品の説明に、「第七段は『孤狼地獄』となっている。
なお、絵第七段は『起世経』の孤狼地獄ではなく、『大楼炭経』に説かれる『狼野干泥梨』とする説がある。」とある。

泥梨とは地獄の意味。「ないり」と読むが、実は「奈落」とも書く。
これはおもしろい。
奈落と狼野干、「地獄」つながりである。
いずれにしても地獄の狼であり、断じて森を守るなどと解釈してはいけないのである。

低年齢層にわかりやすくするために、台詞を簡単にするのはいいことだと思う。
事実、そういった工夫は、あちこちでなされていて好感が持てる。
しかしそれ以外は、案外無造作に変更されているような気がしてならない。
ひとつひとつの言葉、台詞の意味を大切に考えていって欲しいと思う。
(2002年12月7日の日記)

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