| 10月16日 「梅安初時雨」より神保屋敷 〜千代田区一番町 |
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梅安シリーズの主役の一人、小杉十五郎は牛堀九万之助の門弟だったが、九万之助が死去する際、道場を譲られる。 それが気に食わず、十五郎の暗殺を謀る門弟の一人が「表二番町」に屋敷のある五百石の旗本、神保亀右衛門の次男、弥市郎。 「表二番町」とは現在の「一番町」にあたり、古地図の番町大絵図を見ると「表二番町通」の文字が見える。 江戸、つまり昔の東京と現在の地図を照らし合わせると道筋が全然変わってないので見当はつけやすい。 ただ現在の番町は一番町から六番町まであり、 五 六四三 二一 という感じで並んでいるので、迷う人が多いらしく、歩いているとよく道を聞かれる。 マンションが多い割には人も少なく、店も少ない非常に生活感のない街だが、反面緑は豊かで時代小説や時代劇に出てくる地名も多い。 JR市ヶ谷駅を出て靖国通りを進み、靖国神社のちょっと手前で右折すると「東郷元帥記念公園に」出る。 「東郷坂」と名づけられた坂を下り、四番町図書館を右手に見ながら「行人坂」を上って行くと(この辺はほんと上ったり下りたりのくり返しだ)、今度は「南法眼坂」を上る。 「いきいきプラザ一番町」に曲がる角にある某製紙会社の社員寮。 写真を撮れるような史跡もなければ雰囲気もない普通の住宅街なので、今回はカメラの出番はなし。 古地図を見るとそこには以前川村對馬守屋敷があったらしい。 名前も読めないし、検索かけてもこの人物に関する情報はなかったが、一番驚いたのはこの場所に住んでいたと設定された神保弥市郎。 九万之助の道場は浅草元鳥越町。 浅草のどの辺にあるかはまだわからないが、最寄り駅を浅草とすると、そこに行くには九段下か市ヶ谷駅から大体乗り換えして30〜40分。 電車の距離にして5.5kmになる。 計算して歩いたことはないけれど、2時間くらい? いえ道なりに歩いたらもっと遠いだろう。 神保弥市郎はこの距離を歩いて牛堀九万之助の道場に通っていたのだろうか。 考えただけでも気が遠くなる。 もちろん池波氏は神保弥市郎のような若き剣客が稽古に通うのに適切な距離と判断されたのだろうが、それにしてもすごい。 もちろん歩き回ってて気づいてみたら5,6時間たってたということはあるけれど、最初から市ヶ谷から浅草まで歩いてみようなどとはとても思わない。 これまでも鬼平や梅安や秋山小兵衛の歩いた道をたどったが、そのほとんどが本を読むだけでは想像できないほどの長距離で、いつも疲れ果てて帰っている。 (生まれついての方向音痴ゆえ、迷うせいもあるのだが。) 同時にこの距離は池波氏のエッセイなど読むと、実際に池波氏が歩いた馴染みのある距離であり、確かめた距離である。 ご自身の小説に出てくる登場人物に負けない健脚ぶりが髣髴とされる。 ここに住んでた弥市郎、どうしようもない青年だが、ここから浅草の剣術道場に通っていたというだけでもたいしたものである。 ところでこの近辺は「番町」の名前でもわかるとおり、「番町皿屋敷」の舞台にもなった所。 もう少し駅の方に近づいていくと、お菊が髪を振り乱し、帯を引きずって逃げたと言われる帯坂があるし、以前ジムでその話が出た時、「お菊さんが殺された屋敷はこの近くのマンションなのだが、どこだかわかるとそのマンションが売れなくなるから秘密にしている。」などというまことしやかな噂を聞いた。 神奈川県平塚市にはお菊のお墓があるということだし、いつか行ってみたいと思っている。 そんなことをぼんやり考えながら歩いていたら、「シェ・カザマ」の前に出た。 日テレがまだ番町にあった頃、ここは日テレ御用達のパン屋さんで、「出没!アド街ック天国」に出演した永井美奈子アナが絶賛していた。 ちょっと高いイメージがあるのでなかなか寄れないが(笑)、ここのサンドイッチは大好き。 でもこの界隈が昔武家屋敷がずらっと立ち並んでいたというのは想像力の乏しい私にはイメージできなくて、どうしても時代劇や映画のセットを思い出すしかないのが情けない。 (2006年10月16日の日記)
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| 田中屋久兵衛請負宿 〜神田橋 |
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営団地下鉄千代田線B7出口を出てまっすぐ進むと、高速道路が走るその下に神田橋が見えてくる。 「仕掛人・藤枝梅安」シリーズ1巻「殺しの四人」の中の「梅安晦日蕎麦」に登場する田中屋久兵衛の請負宿のあったあたり。 日本橋の頭上にかけられた高速道路を嘆いておられた池波氏、神田橋の上を走る首都高速に何を思われているだろうか。 けれど始めて見た時からの私に馴染んだ風景は、高速道路の下の日本橋や神田橋。 高速のない日本橋や神田橋を思い浮かべようとすれば、テレビや映画で見たセットの風景が浮かんでくる。 田中屋久兵衛は「殺(や)ってもいいような奴」として石川友五郎の殺しを彦次郎に依頼したが、石川友五郎は「殺ってもいいような奴」ではなかった。 久兵衛に仕掛けの仲介を依頼した側こそが「殺ってもいいような奴」だった。 それを知った梅安と彦次郎は依頼人嶋田大学と共に、この田中屋久兵衛も「仕掛ける」のである。 久兵衛は別に彦次郎に悪意があったわけでもないのだが、石川友五郎を救うためには事情を知る久兵衛の口を閉ざす必要があった。 同時に仕掛ける相手が本当に「殺ってもいいような奴」であるかどうか、見極めようともしなかった久兵衛を仕掛人として許せなかったのだろう。 そんなストーリーを思い出しながら、神田橋に向かって歩いて行くと、前方に白い桜の花が見えてきた。 この時期に通ったことがないから気づかなかったが、薄曇りの白い空に寂しく融ける白い桜。 足を止めて携帯を構えるサラリーマンや、写真の撮りっこをする老夫婦も、曇り空では花も目立たず、がっかりしたように写真を見ている。 きれいな青空になったらまた写真を撮りに来ることにして、ここは素通り。 ところでこの桜と神田橋の間に摩訶不思議な像がある。 金色のちょっと太目の「考える人」。 どう見てもコガネムシだよなあと思ってみたら、ほんとにコガネムシの擬人化だった。 像の下の説明書きには「千代田区の区民の暮らしと発展する街の様子を表現したもの」とあったけど、成金みたいでなんだかめげる。 待ち合わせしてるような顔して橋にもたれ、川を見下ろすと、濃い緑の澱んだ水がもったりと溜まっている。 寒々とした空の下、冷たい風に身をすくませていると絶え間ない車の流れや人の往来もそんなに気にならなくなってくる。 池波氏がなぜこの場所を田中屋久兵衛の請負宿に選んだか、ぼんやり考えた。 昔の住所で言うなら三川町一丁目(梅安では三河町一丁目)、細い道路を挟んで反対側には勘定奉行都筑駿河守や本多豊前守屋敷がある。 これらの屋敷で雇い入れる中間たちを周旋するのが田中屋のような請負宿だった。 そう思って見渡すと、立ち並ぶビルも大名屋敷に見えて・・・はこないか(笑)。 この場所から田中屋久兵衛は浅草今戸の「玉屋」という料亭に彦次郎に会いに行くのだが、私の感覚では浅草の方角も距離感もとんとわからない。 ここが東京に生まれ、東京で育ち、東京を歩き回った池波氏の頭の中では生きた地図としてしまい込まれていたんだろうなあと思う。 私も60歳、70歳になってまだサイトを作っているかどうかはわからないけれど、その頃までは「江戸」の町をどんどん歩いて、少しでもこの地図を自分のものにしていきたいと思う。 池波氏や池波氏世代の読者は失われた風景を嘆かれる。 私の世代は今の風景から古き良き時代を探し出そうとする。 それは池波氏の時代を共に生きてこなかった私たち世代の特権だ。 そしてそれは案外楽しいことだ、そう思う。 さてこの神田橋、私の大好きな本屋さん「時代屋」からも近い。 2階のお茶屋さんに入って熱いほうじ茶でこごえた体を温めながら、本を読むのがとても楽しい。 みたらし団子も奮発しようかな?と思ったけれど、せっかくいっぱい歩いたんだもの、今日はダイエット日にしておこう。 「梅安晦日蕎麦」はほのぼのした終わり方のとても好きな作品。 梅安が救った女性のお礼にと、お寺の老僕と僧が蕎麦を打ってくれ、彦次郎とのんびり蕎麦を食べる梅安、心穏やかな一夜となる。 ★今日の一枚。 車と高速、神田橋。 一応桜も咲いているのですが。→「こちら」 (2007年2月12日の日記)
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| 柳原土手 |
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JR秋葉原の駅前からワシントンホテルのある方に向かうと、「ふれあい橋」の小さな看板が見えてくる。 万世橋と和泉橋に挟まれた、車は通行不可の、こじんまりした橋。 東北・上越両新幹線東京駅乗り入れ工事に伴うJR鉄橋工事用の橋が地元の要望でそのまま残されたものだそうで、小さいながらも不思議な風情がある。 ふれあい橋の中央に立ち、柳原土手を眺める。 夕暮れの秋葉原を吹き抜ける風は気持ちいいけれど、同時に神田川の澱んだ水面から生臭い匂いも運んでくるのには辟易する。 牛堀道場の相続争いに巻き込まれた小杉十五郎は決着をつけるべく、追っ手をここにおびき寄せた。 北原亞以子著「蜩」の中の「権三回想記」では 「土手下の柳原ってえものは、昼のうちこそ古着屋などの床店が出ていて人通りもあるが、日暮れになると、この床店がばたばたっと片付けられちまう。 あとに残るのは、迂闊に手をつけると祟りがあるってえ清水山、ぼうぼうと生い茂って死骸の一つや二つは飲み込んでいそうな草叢と、それを照らすお月様だけって寸法でね。 柳原名物の夜鷹は、餓鬼の頃から見ておりやした。」 と語られる凄まじい場所だが、現在は神田川のぎりぎりまで建物が立ち並び、当時を思い出させるよすがはない。 けれど、電気街とは反対側は古い家が立ち並ぶ、どこかくすんだ風景が続く。 それを懐かしいと感じるか、寂しいと感じるかは、訪れた人の年齢や心情によるんだろうなあと思う。 橋を渡ってすぐ左手にあるのは柳森神社。 こちらもこじんまりした神社だが、由来書によると、江戸城主・太田持資(道灌)が城の鬼門除けとして植樹した柳の森の鎮守として、長禄三年(1459年)に祀られたものだそうだ。 なんとも愛嬌のある狸の像が「おたぬきさま」と呼ばれ、「他抜き」とかけて、立身出世のご利益があるとされているそうだ。 お稲荷さんの狐の代わりに狸の置物が置いてあったりして境内は狸だらけ、とにかく可愛い。 ちょうど少ないけれど紫陽花が見頃で、ガイドブックやカメラを手にしたカップルやグループをたくさん見かける。 以前はこうして神社巡りをしていても、退職して老後の楽しみに歩いてますみたいな世代の方たちが多かった。 でも最近は古地図ブームの影響か、いろんな世代の人たちが楽しそうに歩いていて、声をかけ合ったりしている姿も時々見かける。 柳森神社に真正面から向き合うと、鳥居と後にそびえるワシントンホテルが不思議な対象をなしており、おもしろい。 さて、元鳥越町の牛堀道場を出た小杉十五郎は隅田川と神田川の合流点で浅草御門(現浅草橋)を通り、今度は神田川に沿って今で言うなら総武線沿線を浅草橋駅から秋葉原駅に向かって歩き続ける。 私たちも浅草六区を起点に挑戦してみたけれど、買ったばかりのスニーカーがいまいち合わず、浅草橋にて断念。 それでも寄り道しながら1時間半も歩いただろうか。 実際に登場人物の歩いた道をたどってみると、ほんと彼らの、つまり池波氏の健脚ぶりに驚かされる。 こっちはもうへろへろだ(笑)。 帰りに両国の小さなお店でちゃんこ鍋を食べてこの日は終了。 こんな日は、日本酒の苦手な自分が恨めしい。 ★今日の一枚。 ふれあい橋から見た柳原土手。 右手端に柳森神社、左手にはJRと電気街に続く道。→「こちら」。 ★追記(2008年2月29日) 今年の1月に国立劇場で行われた歌舞伎「小町村芝居正月」を見て来た。 平安時代の前期、異母兄弟の惟喬(これたか)親王と惟仁(これひと)親王の「御位(みくらい)争い」を背景にして、歌人として名高い大伴黒主や小野小町、小町を慕う深草の少将などにまつわる、さまざまな伝承を巧みに脚色した作品だが、その中で四幕目「柳原けだもの店(たな)の場」での尾上菊之助さん演じる小女郎狐の柳原土手(柳森神社も登場)での立ち回りが去年見に行ったばかりだったので、特に楽しかった。 秋葉原のワシントンホテルのあるあたり、電気街と少々匂う神田川に挟まれたあの場所がこれほど豪華絢爛、美しく楽しく描かれるとは。 柳森神社も室町時代、太田道灌が江戸城の鬼門除けとして、多くの柳をこの地に植え、京都の伏見稲荷を勧請したことに由来する神社だが、境内に鎮座している大きな狸を思い出し、菊之助さんの優雅な狐芝居とつい思い比べて笑ってしまった。 歌舞伎もたくさん見たいとは思うけど、実際に見てみると難しくてよくわからず、眠くなってしまうこともあるという情けなさなのだが、こうした知識が少しでもあれば、それだけ楽しめるものなんだなあとつくづく思った。 (2007年6月22日の日記)
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